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神戸地方裁判所尼崎支部 昭和57年(ワ)528号 判決 1988年2月25日

原告 ユニゾン エンタープライズ株式会社

右代表者代表取締役 廣瀬恭一

右訴訟代理人弁護士 守山孝三

右訴訟復代理人弁護士 安永一郎

被告 大西夏江

<ほか六名>

右七名訴訟代理人弁護士 後藤三郎

被告 大西亨

被告 住友信託銀行株式会社

右代表者代表取締役 田代毅

右訴訟代理人弁護士 有地寛

主文

一  被告大西夏江は原告に対し、金二三九万六三三三円を支払え。

二  被告大西一、同大西満、同大西洋吉、同大西紀世、同大西貞夫、同来馬博子及び同大西亨は、原告に対し、各自金六八万四六六六円を支払え。

三  原告の被告大西夏江、同大西一、同大西満、同大西洋吉、同大西紀世、同大西貞夫、同来馬博子及び同大西亨に対するその余の請求を棄却する。

四  原告の被告住友信託銀行株式会社に対する請求を棄却する。

五  訴訟費用は、原告と被告住友信託銀行株式会社を除く被告らの間においては、原告に生じた費用の二分の一と被告住友信託銀行株式会社を除く被告らに生じた費用を七分し、その六を原告の負担とし、その余は被告住友信託銀行株式会社を除く被告らの負担とし、原告と被告住友信託銀行株式会社の間においては全部原告の負担とする。

六  この判決は、右第一、二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告大西夏江は原告に対し、金一六〇〇万円を支払え。

2  被告大西一、同大西満、同大西洋吉、同大西亨、同大西紀世、同大西貞夫及び同来馬博子は原告に対し、各自金四五七万一四二八円を支払え。

3  被告住友信託銀行株式会社(以下、「被告銀行」という。)は、原告に対し、金四八〇〇万円を支払え。

4  訴訟費用は被告らの負担とする。

5  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告大西夏江、同大西一、同大西満、同大西洋吉、同大西紀世、同大西貞夫及び同来馬博子の答弁)

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

(被告大西亨の答弁)

原告の請求を棄却する。

(被告銀行の答弁)

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外大西定吉(以下、「訴外定吉」という。)は、昭和三四年一二月三〇日、被告銀行の仲介により、別紙物件目録一記載の五筆の土地を、その範囲を別紙図面一(実測図)の赤線で囲まれた部分(実測面積一万二二六七・五四坪)と特定し、代金四七二三万〇〇二九円(坪当たり金三八五〇円×実測坪数)で、設立中の会社である三倉興業株式会社(設立後三倉地所株式会社と称し、後に合併及び商号変更を経て原告ユニゾンエンタープライズ株式会社となった。以下、「原告会社」という。)に売り渡し、原告会社は、代金支払いのうえ、同三五年四月二〇日、右五筆の土地につき所有権移転登記を了した(以下、別紙図面一の赤線部分の土地を「本件土地」といい、右売買を「本件売買」という。)。

2(一)  ところが、昭和四〇年頃、原告会社が、本件土地の宅地造成を計画し、所管庁である西宮市建築指導課に相談に赴いたところ、本件土地の公簿面積と実測面積が異なっているので、登記上の地積の更正をするようにとの指示があり、原告会社は、地積更正登記手続の準備をすることとしたが、その過程で、神戸地方法務局西宮出張所備付の土地台帳附図(公図)上は、別紙物件目録一記載の各地番(西宮市甲陽園西山町二番、四二番、四八番一、四九番、五〇番、以下、甲陽園西山町の土地を表示する場合は地番のみを記す。)のある五筆の土地は、本件土地の僅かな一部分に過ぎず、本件土地の大部分は、地番のない無番地であることが明らかになった(以下、本件土地のうち、公図上無番地とされていた部分を「本件無番地」という。)

(二) そして、本件無番地が右五筆の土地の一部であることを前提として、それに符合するように地積更正登記を求めることは、公図上の右五筆の土地の位置、地形からして困難であったので、原告会社は、本件無番地につき、昭和四二年一一月二八日、新地番設定の表示登記を申請し、同日登記官により起番設定(一八三番ないし一八九番)のうえ表示登記が経由され、同年一二月四日、原告会社は、右各土地につき所有権保存登記を経由した。

(三) 原告会社は、昭和四三年五月頃、保存登記を経由した本件無番地のうち、一八三番の二の土地(一八三番の土地の分筆地)及び一八五番の土地を除くすべての土地を訴外昭和土地開発株式会社に売却し、同社は同年六月右土地を、訴外永和精機株式会社及び訴外九十九工業株式会社に売却した。

3  ところが、昭和四五年、本件無番地の所有者であると主張する訴外長生株式会社(以下、「訴外長生」という。)から原告会社、訴外永和精機株式会社及び訴外九十九工業株式会社らを被告として、保存登記を経た本件無番地につき、所有権確認、移転登記手続等を求める訴訟が提起され、翌四六年には訴外長生から所有権を譲り受けたと主張する訴外財団法人大阪住宅建設協会(以下、「訴外大阪住建」という。)が、右訴訟に当事者参加をし、原告会社、訴外永和精機株式会社及び訴外九十九工業株式会社らに対し、本件無番地につき、所有権確認、保存登記の抹消登記手続等を求めるに至った(以下、「別件訴訟」という。)。

4(一)  別件訴訟において、訴外大阪住建は、次のとおり主張した。

すなわち、本件土地付近一帯は、もともと旧西宮市大字中字目神山一番の一(昭和二八年町名変更により、西宮市甲陽園目神山一番となった。)の山林であり、右山林(以下、「旧目神山一番の一の土地」という。)は、旧所有者訴外甲陽土地株式会社により分筆された後一般に分譲され、本件土地のうち別紙物件目録一記載の五筆の土地もその際分譲されたものであり、本件無番地は、このようにして分筆された結果分筆残地として残った旧目神山一番の一の土地の一部である。旧目神山一番の一の土地の所有権は、訴外甲陽土地株式会社、同株式会社兵庫県農工銀行、同長尾欽弥、同長生を経て、昭和三三年、訴外大阪住建が取得したのである。したがって、本件無番地の所有権は、訴外大阪住建が有する。

(二) これに対して、原告会社は、本件無番地は、別紙物件目録一記載の五筆の土地のいわゆる縄延び地である、そうでないとしても、時効(一〇年)によりその所有権を取得したと主張した。

(三) ところが、訴外大阪住建提出の証拠により、本件土地を含む付近一帯は、もともと約一六〇町歩にも及ぶ広大な山林であった旧目神山一番の一の土地の一部であったこと、旧目神山一番の一の土地は、大正時代に、旧所有者訴外甲陽土地株式会社が次々と分筆のうえこれを譲渡し、本件土地のうちもともと地番の設定のあった別紙物件目録一の五筆の土地も、このようにして旧目神山一番の一の土地から分筆譲渡された土地であって、縄延びが出るような土地ではないことが明らかになり、そのため、前記訴外大阪住建の主張どおり、本件無番地は、分筆譲渡後に残った旧目神山一番の一の土地の分筆残地の一部であると認定される可能性が強くなった。

また、原告会社は、訴外定吉と売買契約を締結した後、本件土地の占有を始めた昭和三五年五月頃以降一〇年間、善意無過失で本件無番地を占有し続けたことを理由に、本件無番地の時効による取得を主張していたが、原告会社が、占有開始時において、本件土地の公簿上の面積(五〇三三坪)と実測面積(一万二二六七・五四坪)が二倍以上も違うのに、公図を調査していなかったこと等から、無過失の立証が困難で、右時効の主張が認められる可能性は少なかった。

5  以上の点からみて、原告会社の敗訴は必至と考えられたので、原告会社は、やむなく、昭和五六年一二月一六日、本件無番地のうち、当時原告会社が所有名義を有していた土地(合計六二三九平方メートル)について、訴外大阪住建との間で、訴訟上の和解を行い、訴外大阪住建に対し、和解金として金四八〇〇万円を支払って、右土地が原告会社の所有であることの確認を得た(以下、「本件和解」という。)。

6  (被告銀行を除く被告ら(以下、「被告大西ら」という。)の責任)

(一) 訴外定吉は、一部他人の所有部分を含んでいるか、含んでいる可能性の高い本件土地を原告会社に対して売却し、その結果原告会社は、前記和解金の支払いを余儀なくされ、金四八〇〇万円の損害を被ったのだから、訴外定吉は、民法五六三条一、三項の適用ないし類推適用に基づき右同額の損害賠償責任を負う。

(二) 原告会社と訴外定吉との間の売買は、実測面積一万二二六七・五四坪の土地を坪当たり金三八五〇円と計算して代金を算出したものであり、いわゆる数量を指示した売買にあたるところ、その一部が他人の所有に属し又は属する可能性が高いため、右実測面積に不足が生じたので、訴外定吉は、民法五六五条の適用ないし類推適用に基づき数量不足により原告会社が被った損害を賠償しなければならない。

(三) 原告会社が、所有権を失う危険があったため、やむなく訴外大阪住建に対して和解金を支払った状況は、民法五六七条二項の担保権者からの追奪から買主が出損をもって所有権を保存した場合に類似するから、訴外定吉は、同条の類推適用により、損害を賠償しなければならない。

(四) 訴外定吉が、原告会社に売却した土地の一部が公図上無番地であったことは土地自体の瑕疵であるというべきであるから、訴外定吉は、民法五七〇条の適用ないし類推適用により右同額の損害を賠償しなければならない。

(五) 被告大西らは、いずれも訴外定吉の相続人であり、被告大西夏江は定吉の妻(相続分三分の一)であり、被告大西一、同大西満、同大西洋吉、同大西亨、同大西紀世、同大西貞夫及び来馬博子は、定吉の子(相続分各二一分の二)である。

7  (被告銀行の責任)

(一) 被告銀行は、不動産仲介業者であり、原告会社との間で、本件土地につき不動産仲介契約を締結し、本件売買を仲介した。

(二) 被告銀行は、右仲介契約に基づき、善良な管理者としての注意義務を負っており(民法六四四条)、売買の目的物の権利の瑕疵については、十分に注意する義務がある。しかるに、本件土地売買においては、実測面積が公簿上の面積の二倍以上に及んでいるのに反し、五筆の土地は分筆を経た分譲地であって、いわゆる縄延びのしにくい土地であったこと、一体の山林であるはずの本件土地の地番が連番ではなく飛んでいたこと、売買の基礎とされた実測図面には正確な地番の記載がなかったこと、以上の事情が存在し、右事情からすれば被告銀行は法務局備付けの公図を閲覧するなどして、登記簿に地番のある五筆の土地の位置、範囲を確認し、無番地で他人の所有に属するような土地を原告会社に売却することのないように注意すべきであったにもかかわらず、五筆の土地の全体としての範囲はこれだけであるとの訴外定吉の説明や同人の指示により作成された測量図を鵜呑みにして、実測面積と公簿上の面積の差は縄延びによるものと軽信し、公図の閲覧等による土地の位置、範囲の確認を怠るという過失をおかした。

原告会社は、信用ある被告銀行の仲介があればこそ、訴外定吉との間で売買契約を締結したのであり、その結果、原告会社は、訴外大阪住建に対し、前記のとおり、金四八〇〇万円を支払わざるを得なくなり、右同額の損害を被った。

8  よって、原告会社は、売主の担保責任(民法五六三条三項、同五六五条、同五六七条二項及び同五七〇条の適用ないし類推適用)に基づき、被告大西夏江に対し金一六〇〇万円、被告大西一、同大西満、同大西洋吉、同大西紀世、同大西貞夫、同来馬博子及び同大西亨に対し各自金四五七万一四二八円、の支払いを求め、被告銀行に対し、債務不履行に基づき金四八〇〇万円の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告大西らの認否及び反論

1  認否

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 同2(一)ないし(三)の各事実はいずれも知らない。

(三) 同3の事実は認める。

(四) 同4(一)及び(二)の各事実はいずれも認める。

(五) 同4(三)の事実は否認する。

(六) 同5の事実は知らない。

(七) 同6(一)の主張は争う。

(八) 同6(二)ないし(四)の主張は争う。これらの主張は、つぎのとおり主張自体失当である。

(1) 同6(二)について

本件は、売買の目的物の数量不足の場合ではないから、民法五六五条の適用される場合にあたらない。

(2) 同6(三)について

同法五六七条は、売買の目的物に対する担保権の行使に関する規定であるから、本件の場合は、これにあたらない。

(3) 同6(四)について

同法五七〇条は、特定物の所有権の移転が可能なことを前提に、右特定物に瑕疵がある場合の規定であり、他人物ゆえに所有権自体が移転できない場合には適用がない。

(九) 同6(五)の事実については認否がない。

2  反論(民法五六三条三項の主張に対して)

(一) 本件無番地は、旧目神山一番の一の土地の分筆残地ではなく、別紙物件目録一記載の五筆の土地の一部分であり、売買契約当時売主たる訴外定吉の所有に属していたから、訴外定吉と原告会社間の売買は、権利の一部が他人に属する売買に該当しない。

(二) 民法五六三条三項の損害賠償責任が認められるためには、売買の目的たる権利の一部が他人に属することが立証されなければならない。しかるに、本件無番地が他人(訴外大阪住建)に属することの立証がない。

(三) 担保責任における損害賠償額は、一部他人の物であることにつき売主が善意無過失である場合は、代金減額を主たる内容とする、いわゆる信頼利益の額に限られるところ、本件では、訴外定吉は、売買にあたって、本件土地の一部が他人の物であることにつき善意無過失であった。

三  請求原因に対する被告銀行の認否及び反論

1  認否

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二) 同2(一)ないし(三)の各事実はいずれも知らない。

(三) 同3の事実は認める。

(四) 同4の(一)及び(二)の各事実はいずれも認める。

(五) 同4(三)の事実は否認する。

(六) 同5の事実は、知らない。

(七) 同7(一)の事実は認める。

(八) 同7(二)の事実のうち、被告銀行が売買の仲介にあたって公図を調査していないことは認め、その余は否認する。

2  反論

(一) 被告銀行が、訴外定吉から売買の仲介の依頼を受けたとき、訴外定吉は、被告銀行の担当者であった訴外西村實に対して、本件土地を訴外瀬戸保太郎から買い受けたこと、訴外瀬戸保太郎は訴外長尾欽弥及び同長生の支配人をしていた人物で周辺土地の事情について詳しいこと、訴外瀬戸保太郎の案内で現地を見聞し、境界及び境界石について説明を受けこれを確認したこと、本件土地の測量図は、信頼できる測量士が作成したものであることを説明し、被告銀行の担当者自身も、訴外定吉とともに現地に臨み、訴外定吉から説示をうけて境界石を確認し、測量図の正確性を確かめた。また、訴外定吉が、被告銀行との間の再三の取引において一度もトラブルがなかったこと、本件土地のような山林の場合、いわゆる縄延びによって、実測面積が公簿面積の数倍もあることも間々あること等の事情から、被告銀行は、本件土地が、訴外定吉の所有に属し、実測面積と公簿面積の差は、縄延びによるものと判断し、原告会社との間の取引の仲介をしたのである。

不動産仲介業者は、売主から交付を受けた実測図などの資料、売主の現地における説明などに、何等かの不審な事由が存し、これだけでは対象土地の特定、地積の確定が不十分であるとみとめられるような特段の事情のないかぎり、常に対象土地の位置、地積を確認するために、法務局備付の公図を閲覧、調査するまでの注意義務を負うものではないと解すべきところ、本件の仲介の場合、前記のように、そのような特段の事情は存在しなかったのである。

したがって、被告銀行が、公図を閲覧、調査しなかったからといって、注意義務を怠ったことにはならない。

また、本件土地に無番地が含まれていたことが明らかになった際、登記所さえも、原告会社の申請により、調査を経て右無番地につき起番設定のうえ表示登記をし、さらに原告会社名義で所有権保存登記をした事実に照らしても、売買仲介当時被告銀行が本件土地はすべて訴外定吉の所有であり、実測面積と公簿面積の差は縄延びによるものと判断したことは、無理からぬところであった。

(二) 別件訴訟においては、次のような事情から原告会社が勝訴する可能性が高かった。すなわち、双方の主張立証によっても本件無番地の所有権が誰に帰属するかは明らかにならず、この点から訴外大阪住建の請求は棄却されるはずであった。また、原告会社は、本件土地を買い受けた後一〇年間、本件無番地を占有し続けたことを理由に、時効取得を主張しており、この点を理由にしても勝訴の可能性は十分あった。原告会社は、一〇年の時効取得については、無過失の立証が困難であったと主張するが、原告会社は、本件土地を訴外定吉から購入するにあたって、現地において境界石を確認していること、山林には、いわゆる縄延びが間々存在するから、実測面積が公簿上の面積の二倍程度であっても、原告会社に公図を調査する義務はないこと、原告会社は、無番地が存在することがわかったときも、自らの所有権の存在をなんら疑うことなく右無番地の表示登記を申請したこと等の事情からすれば、原告会社の無過失は容易に立証できたはずである。

左のとおり、原告会社が、別件訴訟において勝訴し得たにもかかわらず、訴外大阪住建と和解をしたのは、自らの判断の誤りによるか、勝訴しうることを予想しつつ、自己の都合により、あえて和解を選択したものと解されるから、仮に、被告銀行に何等かの過失があったとしても、右過失と和解金の支払いとの間には、相当な因果関係は存在しないというべきである。

四  被告大西らの抗弁

1  次の事情からすれば、原告会社の売主の担保責任の請求は信義則に反し許されない。

(一) 別件訴訟において原告会社が勝訴する可能性は、極めて大きかった。すなわち、本件土地は、原告会社と訴外定吉の売買契約の時から、訴外定吉の所有に属していたし、また、仮に、本件土地の一部が訴外定吉の所有に属していなかったとしても、本件無番地が訴外大阪住建の所有に属することの立証はできていなかった。さらに、原告会社は、右訴訟で、訴外定吉と売買契約を結んだ後以降一〇年間、本件無番地を含む本件土地を占有し続けたことを理由に、本件無番地の時効取得を主張しており、この点を理由にして勝訴の可能性は十分あった。したがって、原告としては自己の権利について裁判上の確定を求めるべきであり、それが裁判手続において確定的に否定され、権利の瑕疵が客観的に明確になったうえで、担保責任を追及すべきであった。

それにもかかわらず、原告会社が、客観的に瑕疵の存在が確定されないのに、単に主観的に瑕疵の可能性があるという恣意的な判断だけで、訴訟途中でその権利確定を放棄して、にわかに本件和解を行ったのは、訴訟を早期に終了せしめて土地価格の騰貴による転売利益を獲得するためであり、それは商取引上の営業政策的譲歩によるものである。原告会社が支払った和解金の額が、確保した土地の時価ないしは売却価格の一割ないし二割の額であることに照らしても、右和解が原告会社の敗訴を前提としたものではなかったことは明らかである。このような恣意的な判断の結果を被告大西らに対する請求の根拠とするのは不当であり、原告会社は売主の担保責任制度による保護に値しない。

(二) 本件無番地に関する紛争が生じた後、訴外定吉が、原告会社に対し、一部解除の意思の有無を尋ねたところ、原告会社は、自らの調査研究の結果により、敢えて、訴訟による解決を選択し、同人の申出を拒絶したのであるから、いまさら売主に対し、担保責任を追及することは、許されない。

(三) 原告会社は、昭和四三年頃、訴外昭和土地開発株式会社に対し、本件無番地の大部分を売り渡しており、右部分について自らは売主の担保責任を負担していない。それにもかかわらず訴外定吉に対し、売主の担保責任を追及するのは不当である。

2  原告会社は、本件無番地の存在を知ったときあるいは、訴外長生から、請求原因3記載の訴訟を起こされ、その訴状の送達を受けたとき(昭和四五年四月一日)に、「事実を知った」のであるから、訴外定吉の担保責任は、すでに民法五六四条の一年の除斥期間の経過により消滅している。

3  前記1(二)のとおり、原告会社は訴外定吉の申出を拒絶し、また、本件和解に至るまで、訴外定吉に対し、本件無番地の所有権を移転するよう求めたこともなく、また、代金減額、解除等なんらの請求もしなかった。このような事情に鑑みると、原告会社は、訴外定吉に対し、同人の負う担保責任に基づく権利を放棄する旨の意思表示をしたものと解すべきである。

五  被告銀行の抗弁

1  原告会社は、昭和四〇年頃、本件土地に、無番地が含まれていることを知った後も、被告銀行に対し責任を追及することなく、自らの努力で表示登記を得て、自己名義の保存登記を経由し、それによって、本件無番地をめぐるすべての問題が解決したものと考えていたのであるから、被告銀行に対する注意義務違反を理由とする請求権を黙示的に放棄したものと解すべきであるし、また、いまさら被告銀行に対し契約時の責任を追及することは信義に反する行為である。

3  仮に、被告銀行に公図の閲覧をしなかった過失があったとしても、原告会社にも同じく公図の閲覧をしなかった過失があるのだから、被告銀行は、過失相殺の主張をする。

六  抗弁に対する認容

1  抗弁四1の事実のうち、原告会社が昭和四三年頃、本件無番地の一部を訴外昭和土地開発株式会社に売却したこと、同社は原告会社に対し担保責任を追及していないことは認め、その余は否認する。

2  同四2の事実は否認する。民法五六四条の「事実を知りたるとき」とは、「売り主の権利の移転の不能が確実となった事実を知りたるとき」の意味であり、単に第三者から権利を主張されたときではない。

3  同四3の事実は、否認する。

4  同五の各事実は、いずれも否認ないし争う。

七  再抗弁(抗弁四2に対して)

原告会社は、昭和四六年四月二〇日、別件訴訟において、訴外定吉に対し、訴訟告知をしているので、原告会社の損害賠償請求権は保全され、民法五六四条の除斥期間の経過によって消滅していない。

八  再抗弁に対する被告大西らの認否

原告会社が訴外定吉に対し、右のとおり訴訟告知をしたことは認める。

第三証拠《省略》

理由

第一本件売買から本件和解に至る経緯の概要

請求原因1、3、4(一)及び(二)の各事実は当事者間に争いがない。右争いのない事実のほか、《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

一  訴外定吉は、昭和三四年一二月三〇日、被告銀行の仲介により、別紙物件目録一記載の五筆の土地(二番、四番、四八番一、四九番、五〇番、以上登記簿上の面積合計五〇三三坪)を、その範囲を別紙図面一の赤線部分(本件土地、実測面積一万二二六七・五四坪)と特定し、代金四七二三万〇〇二九円で、原告会社に売り渡し(本件売買)、原告会社は代金支払いのうえ、同三五年四月二〇日、右五筆の土地につき、所有権移転登記を経由した。

二  ところが、昭和四〇年頃、原告会社が宅地造成を計画し、所轄法務局備付の本件土地付近の土地台帳附属地図(字限図、以下「公図」という。別紙図面二)を閲覧したところ、本件土地は、公図上はおおむね別紙図面二の赤線で囲んだ部分に該当するが、前記五筆の土地の各地番が付されているのは同図面の青色に塗った部分のみであり、その余の大部分は公図上地番のない空白地(本件無番地)となっていることが明らかになった。

そこで、原告会社は、宅地造成を行う前提として本件土地の登記簿上の面積と実測面積の不一致(当初は公簿面積五〇三三坪に対し、実測面積一万二二六七・五四坪であったが、昭和四一年四月一日に、兵庫県との間に右土地内に公有里道敷一本の貫通を協定したことにより、実測面積は一万二〇七六・〇七坪となった。)を是正すべき、同四一年八月頃、神戸地方法務局西宮出張所に対して、本件無番地が前記五筆の土地の一部であるとの前提で土地の地積更正登記の申請をしたが、右申請に対しては、法務局側から地積の更正では処理できないとの示唆があり、右申請は取り下げられた。原告会社は、あらためて、隣接地所有者らの境界同意書、官公有地の不存在証明書等必要書類を調製して、本件無番地につき表示登記の申請をした。そして、同出張所登記官による審査の結果、本件無番地は原告会社所有のものと判断され、昭和四二年一一月二八日、公図上、別紙図面三の赤斜線部分の無番地につき、別紙物件目録二記載の七筆の土地(一八三番ないし一八九番)として表示登記が経由され、同年一二月四日、右各土地につき原告会社の保存登記が経由された。

三  原告会社は、その後、別紙物件目録二1記載の土地を、一八三番一山林一〇二〇平方メートル及び一八三番二山林六〇〇二平方メートルに分筆し、右一八三番二の土地と、別紙物件目録一の3ないし5記載の各土地から分筆した四八番四山林七七平方メートル、四九番二山林三三四平方メートル及び五〇番二山林一〇六六平方メートルの土地を合筆して新たに四八番四山林七四七九平方メートルとした。

その結果、本件無番地は、登記簿上は別紙物件目録三記載のとおりとなった(なお、本件無番地のうち、昭和四二年一一月二八日に表示登記を経由しなかった部分がその後登記簿上いかに処理されたかは、本件全証拠によるも明らかではないし、本件訴訟とは関係がない。)。

四  その後、原告会社は、昭和四三年四月三〇日、別紙物件目録三記載の土地のうち、7及び8を除いた各土地を、訴外昭和土地開発株式会社(以下、「訴外昭和土地」という。)に売却し、訴外昭和土地は同四三年六月八日、同目録1ないし3の各土地を訴外永和精機株式会社(以下、「訴外永和」という。)に、4ないし6の各土地を訴外九十九工業株式会社(以下、「訴外九十九」という。)にそれぞれ売却し、右各土地につき、同日付で中間省略の方法で原告会社から、訴外永和及び訴外九十九に所有権移転登記が経由された。

五  ところが、訴外長生が、昭和四五年、本件無番地の所有者であると主張して、別紙物件目録三記載の各土地の所有名義人であった原告会社、訴外永和、訴外九十九及び同土地に対する担保権者であった訴外株式会社幸福相互銀行らを相手に、所有権確認、移転登記手続等を求める訴えを提起し(昭和四五年三月三〇日受付、当庁同年(ワ)第二〇三号事件)、さらに同四六年には、訴外大阪住建が、訴外長生から本件無番地の所有権を取得したと主張して右訴訟に当事者参加をした(昭和四六年一月一三日受付、当庁同年(ワ)第八号事件)。

六  右訴訟において、訴外大阪住建は、本件土地付近一帯は、もともと広大な山林であった旧目神山一番の一の土地であり、旧所有者訴外甲陽土地株式会社により次々と分筆された後分譲され、本件土地のうち別紙物件目録一記載の五筆の土地もその際分筆分譲されたものであり、本件無番地はその結果残った旧目神山一番の一の土地の分筆残地の一部であること、旧目神山一番の一の土地の分筆残地の所有権は、訴外甲陽土地株式会社から、同株式会社兵庫県農工銀行、同長尾欽弥、同長生を経て訴外大阪住建が取得したので、結局本件無番地は、訴外大阪住建の所有に属する旨主張した。

原告会社らは、本件無番地は、別紙物件目録一記載の五筆の土地のいわゆる縄延び部分である。そうでないとしても、時効(一〇年)によりその所有権を取得したと主張した。

訴外大阪住建は、さらに別紙物件目録一記載の土地のうち四八番一についても、旧目神山一番の一の土地の分筆残地であると主張する訴訟を提起し(当庁昭和四七年(ワ)第二四五号事件)、原告会社に対しては、四八番四山林七四七九平方メートルのうち合筆前の旧四八番四山林七七平方メートルの所有権を主張した。

これらの訴訟は以後約一〇年間にわたって激しく争われたが、結局、原告会社と訴外大阪住建の間で、右各訴訟において訴外大阪住建が原告会社に対し自己の所有権を主張した土地(当庁昭和四六年(ワ)第八号事件につき別紙物件目録三7、8記載の土地、当庁昭和四七年(ワ)第二四五号事件につき四八番四山林七四七九平方メートルのうち合筆前の旧四八番四山林七七平方メートル、合計六二三九平方メートル)について、原告会社の所有であることを認め、原告会社は訴外大阪住建に対し、金四八〇〇万円を支払うことで裁判上の和解が成立し、その後原告会社は右金員を支払った。

第二本件土地の所有権の帰属

原告会社は、本件売買当時、本件土地の一部が訴外定吉の所有に属さなかったと主張し、一方被告大西らは本件土地はすべて訴外定吉の所有であったと反論するので、まず、本件売買当時の本件土地の所有権の帰属につき検討する。

一  《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  本件土地を含む一帯はもともとすべて旧目神山一番の一の土地(大正七年五月七日当時の表示登記では宅地一五〇坪であったが、その後山林五畝歩に変更登記され、更に大正八年一一月一八日付で他の土地を合併して、山林一三九町九反二〇歩となる。)であったものである。

2  旧目神山一番の一の土地はもと付近三か村の共有山林であったものを明治二二年六月三日、訴外勝部重右衛門が買い受け、その後、大正七年五月一四日、訴外甲陽土地株式会社が取得し(所有権取得登記は同月一五日付)、大正八年一一月一八日に一〇筆を分筆したのを始めとして毎年のように多数の分筆を行ったが、昭和七年一〇月一日、競落により訴外株式会社兵庫県農工銀行に所有権が移り(所有権取得登記は昭和八年一月三一日付)、ついで昭和一〇年二月二八日付で訴外長尾欽弥名義に所有権取得登記がされた(原因同月二五日売買)。訴外長尾欽弥は、右取得後昭和一三年五月一三日、目神山一番の四三〇ないし四九九の七〇筆の土地を分筆するなど多数回にわたる分筆を繰り返した。

3  その後、旧目神山一番の一の土地は、昭和二二年九月二日付で訴外長生(旧商号長生土地株式会社)名義に所有権取得登記がされ、さらに同三三年三月二八日付で訴外大阪住建名義に所有権取得登記(原因同月二七日売買)がなされた。

4  その間、旧目神山一番の一の土地は、昭和三四年一一月一七日に至るまで、数百にものぼるおびただしい数の分筆、合併を繰り返しつつ、その面積は減少を続け、右同日現在において山林六反七畝二一歩となって現在に至っており(現在の地積は六七一四平方メートルと表示されている。)、これが旧目神山一番の一の土地の分筆残地であるということになる。

なお、昭和二八年には、町名変更により西宮市甲陽園目神山一番として字名変更に伴う地番変更登記がなされ、その後の分筆により同市甲陽園目神山一番の一と表示された。

5  一方、別紙物件目録一記載の五筆の土地は、大正八年一一月一八日から昭和八年一二月一日にかけて旧目神山一番の一の土地から分筆されたものであるが、訴外定吉は、昭和三四年秋、右五筆の土地を訴外瀬戸保太郎外一名から買い受け、その際同人から、五筆の土地は別紙図面一の赤線部分であるとの説明を受け、本件土地が右五筆の土地に該当するものと考えていた。そして、訴外定吉は昭和三四年一二月二〇日、本件売買により本件土地を原告会社に売却し、原告会社も、本件土地を訴外定吉所有にかかるものと考えて、それを買い受けた。

二  まず、公図上の空白地がなぜ生じたかを検討するに、これは本件全証拠からは必ずしも明らかではないが、前記のように、大正年間から昭和にかけて数百にも及ぶおびただしい数の分筆、合併がなされたこと、訴外甲陽土地株式会社及び同長尾欽弥が大正から昭和初期(昭和二五年に台帳事務が税務署から法務局に移管される以前)にかけて西宮税務署に提出した分筆届によって認められるように右分筆は必ずしも地域毎に秩序正しく行われたものではなく、また、同税務署に提出された分筆届添付の図面も見取図様の不正確なものに過ぎなかったこと、《証拠省略》によって認められるように、旧目神山一番の一の土地の分筆地のうち数十筆にのぼる土地が、公図にその表示がないこと等の事情からすれば、前記のようにおびただしい数の複雑な分筆、合併が繰り返されているうちに、公図の作成過程での過誤によりこのような空白地を生ずるに至ったものと推測することができる。

そして、本件土地のうち、公図上の空白地に相当する部分(すなわち本件無番地)の所有権の帰属を明らかにする証拠もない。

この点、被告大西らは、別紙物件目録一記載の五筆の土地のいわゆる縄延び地であると主張するが、右五筆の土地は公図上その地番が明記され、またその位置、範囲も明確に記載されており、かつ公図における五筆の土地の範囲と本件無番地部分の範囲とを比較すれば、後者のほうが格段の広さを有するように表示されているのであり、右一5記載のように五筆の土地が分筆地であるという事実をあわせて考慮すれば、山林の場合に一般的に見られるいわゆる縄延びということで、この公図の広さの違いを説明し切れるものではない。

また、昭和八年一二月頃に、訴外株式会社兵庫県農工銀行が作成した本件土地付近の実測図及び《証拠省略》によれば、五筆の土地のうち右実測図作成当時に既に分筆されていた、別紙物件目録一1の土地(旧目神山一番の四七)及び同5の土地(旧目神山一番の一二二)が、右実測図に表示されており、その位置は公図に表示されているところとほぼ同じであり、しかも右各土地の実測面積は右1の土地が約五〇〇・一二坪、右5の土地が約五〇〇・三坪と登記簿上の面積とほぼ一致している。

これらの事情からすれば、右五筆の土地は、大略、公図記載の位置(別紙図面二参照)に、登記簿上の面積とほぼ同じ面積をもって存在していたに過ぎないものと認められ、したがって、本件無番地は、右五筆の土地に含まれておらず、その範囲外の土地であったことになる。そして、右五筆の土地以外の本件無番地の部分について訴外定吉が所有権を有していたと認めるべき証拠はないから、結局、本件無番地は訴外定吉の所有ではなかったと認めざるを得ない。

なお、神戸地方法務局西宮出張所は、前記のように、昭和四二年、原告会社提出の資料及び自らの調査に基づき審査した結果、本件無番地を原告会社所有にかかるものと判断して、本件無番地につき表示登記を経て原告会社の保存登記を経由しているが、判断の基礎となる資料が異なる以上、同出張所の判断が右認定の妨げとなるわけではない。

一方、別件訴訟において訴外大阪住建が主張し、本件訴訟において原告会社が主張するように、本件無番地を旧目神山一番の一の土地の分筆残地であり、旧目神山一番の一の土地の所有者の所有に属するということもできない。すなわち、もともと一筆の土地であったものが分筆され、公図上に空白地が残った場合、地番の記載もれになっている分筆残地である可能性があり、本件の場合も旧目神山一番の一の土地の分筆残地ではないかとの疑いも存するものの、分筆残地であると解することができるのは、分筆された土地がすべておおむね公図上にその位置及び範囲とも正しく表示されていることが前提となるところ、前記したような、本件土地付近の公図作成過程に存在する種々の問題点からすれば到底そのように解することはできないからである。

三  以上のとおり、本件売買当時、本件土地のうち別紙物件目録一記載の五筆の土地は訴外定吉の所有に属したものの、それ以外の本件無番地は訴外定吉の所有に属していなかったものと認められ、結局本件無番地の所有者は本件全証拠によるも明らかではない。

第三被告大西らの責任(売主の担保責任)

一  原告会社は、本件売買を、民法五六三条所定の、権利の一部が他人に属する物の売買に該当すると主張し、被告大西らは、買主が民法五六三条の適用を受けるためには、売買の目的たる権利の一部が特定の他人(すなわち訴外大阪住建)に属することを主張、立証しなければならないと反論する。思うに、誰の所有に属するかは明らかではないものの、売主の所有には属さないことが明らかな部分を含んだ土地が売却された場合についても、売買当事者間の公平、取引の信用を保護するために、売主の担保責任を認める必要があることは、一部が特定の他人の所有に属することが明らかな場合といささかの差異もないから、損害賠償を求める買主は民法五六三条三項の請求原因として、少なくとも目的物の一部が売主の所有に属さないことを主張、立証すれば足り、それ以上、何人の所有に属するかを主張、立証する必要はないと解するのが相当である。

そして、本件の場合、前記第二のとおり本件無番地の所有者が何人であるかは明らかではないが、売主たる訴外定吉の所有に属していなかったことは明らかにされているから、民法五六三条にいう「売買ノ目的タル権利ノ一部カ他人ニ属スル」場合に該当するというべきである。

二  そして、所有者を明らかにすることができない土地部分について、売主定吉から原告会社に対し所有権を移転することができないことは、社会通念上明らかである。

三  そこで、原告会社が民法五六三条三項に基づいて、被告大西らに請求し得べき損害の範囲及び額について判断する。

1  まず、前記のように、訴外定吉は、本件土地のうち、本件無番地の所有権を原告会社に移転することができなかったのであるが、原告会社が訴外大阪住建から訴訟を提起され、それが原因で現実の出捐を余儀なくされたのは、本件無番地のうち別紙物件目録三の7及び8記載の各土地に過ぎず、本件無番地のその余の土地部分の売買に関して原告会社が損害を被ったとの主張はないから、損害額の算定にあたっても、別紙物件目録三の7及び8記載の各土地を原告会社に移転できなかったことによる損害を算定すれば足りる。

2  民法五六三条所定の売主の担保責任は、売買契約に対する買主の信頼を保護するために法が認めた責任であるから、売主が同条三項によって賠償すべき損害の範囲も、買主が契約を瑕疵がないものと信頼したことにより被った損害、すなわち、いわゆる信頼利益の範囲に限られるべきである。そして、別紙物件目録三の7及び8記載の各土地(計六一六二平方メートル)に関して、原告会社が本件売買を瑕疵がないものと信頼した結果通常生ずべき損害は、右各土地の対価として訴外定吉に支払った額と解するべきである。

前記第一の一によれば本件売買は実測面積一万二二六七・五四坪(四万〇四八二・八八平方メートル)、代金四七二三万〇〇二九円であり、右各土地の面積が六一六二平方メートルであるから、本件売買の代金のうちの右各土地の対価は、次の計算のとおり計金七一八万九〇〇〇円となる。

6,162÷40,482.88×47,230,029=7,189,000

3  そして、原告会社が契約を信頼した結果、それ以上の損害を被った場合は、当事者間の公平を維持するため、民法四一六条を類推適用し、売主においてかような損害の発生を予見することができた場合に限り、これを特別の事情によって生じた損害として、その賠償を請求することができるものと解するのが相当である。

本件の場合、原告会社が訴外大阪住建に支払った和解金四八〇〇万円は、原告会社が本件売買を瑕疵なきものと信頼した結果被った損害ではあるが、右通常生ずべき損害を上回ることは明らかであるから、訴外定吉が右損害の発生を予見することができた場合に限り、右金額の損害賠償を請求することができる。

そこで検討するに、前記第二の一5記載のとおり訴外定吉は本件土地を訴外瀬戸保太郎外一名から購入したのであるが、《証拠省略》によれば訴外瀬戸保太郎は、旧目神山一番の一の土地の元所有者であった訴外長尾欽弥及び同長生の支配人であった者で、本件土地周辺の所有関係を知悉していると付近の土地の不動産取引にかかわる者によって考えられていた人物であり、信用も大きかったこと、訴外定吉は取引にあたって、同人より現地の案内を受け、境界石を確認のうえで本件土地を訴外瀬戸保太郎外一名の所有に属するものと信じてこれを買い受け、その後原告会社に売却したことが各認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。右事実からすれば、訴外定吉にとって、本件売買から、約一〇年も経過した後に本件土地の一部分について所有権を争う者が出現し、買主が和解金の支払いのやむなきに至ることは到底予見し得べきところではなかったと解するのが相当である。

したがって、定吉が担保責任を負担するのは、前記の金七一八万九〇〇〇円に限られる。

四  原告会社は、その他、民法五六五条、五六七条二項、五七〇条の各適用ないし類推適用を主張するが、前記のとおり本件は、五六三条所定の、売買の目的たる権利の一部が他人に属する場合に該当するので、その余の主張はいずれも失当である。

五  請求原因6(五)(被告大西らの相続分)は、被告大西らにおいて明らかに争わないから、自白したものとみなす。

六  被告大西らの抗弁について

1  信義則違反

(一) 被告大西らは、信義則違反の理由として、第一に本件和解に至った事情を問題にするので(抗弁1(一))、本件和解に至る経緯につき検討する。

別件訴訟における訴外大阪住建及び原告会社の主張の要旨は前記第一の六記載のとおりである。そして、《証拠省略》によれば、訴外大阪住建の主張、立証活動は独自の調査及び旧目神山一番の一の土地の前所有者らから入手した資料等に基づくもので、精力的かつ詳細を極め、原告会社らの懸命の訴訟活動にもかかわらず、本件無番地が訴外定吉の所有に属したことの立証は困難な状態であったこと、訴訟の勝敗は原告会社らが予備的に主張した、訴外定吉以降の占有継続に基づく時効(一〇年)による所有権取得の成否にかかり、この主張についても訴外大阪住建が激しく争ってはいたものの、右主張が認められ、結局、原告会社が勝訴し得る可能性が少なくなかったこと、昭和五三年九月頃以降、原告会社を除く別件訴訟関係者の間に次々と和解が行われ、本件和解当時実質的に紛争が継続していたのは原告会社と訴外大阪住建との間だけであったこと、本件和解金(金四八〇〇万円)は、原告会社と訴外大阪住建との間の係争土地の時価の一割ないし二割程度の金額であったこと、本件和解から二、三年後、原告会社は右係争土地をすべて第三者に時価で売却したこと、以上の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によれば、原告会社が和解に至ったのは、勝訴の可能性が少なくない状態を利用して、低額の和解金で紛争を早期に解決しようとしたためであることは容易に想像できるところである。しかし、別件訴訟は一審ですでに約一〇年を経過していたこと、事案の複雑さ、訴外大阪住建の訴訟に対する精力的な取り組み方、他の訴訟関係者が既に和解をしたこと等の事情に鑑みると、かかる和解も一企業人の選択として社会通念上首肯し得るものというべきである。

したがって、本件和解が売主との関係において特に信義に反する行為であるとはいい難く、この点を根拠とする被告大西らの主張は理由がない。

(二) 抗弁1(二)の事実(訴外定吉が原告会社に対し一部解除の意思の有無をたずね、原告会社がこれを拒絶したこと)については、これを認めるに足りる証拠がない。

(三) 同1(三)の事実については、前記第一の四のとおり原告会社は別紙物件目録三記載の本件無番地のうち、同目録7、8記載の各土地を除いた部分を訴外昭和土地に売却している。そして、《証拠省略》によれば、訴外昭和土地よりこれを買い受けた訴外永和からさらにその一部を転得した訴外幸和不動産株式会社らが、右土地に関する紛争の解決のために、訴外大阪住建に和解金を支払ったこと、右訴外会社らは右和解金に関し原告会社に対して何らの請求もしていないことが各認められる。しかし、本件全証拠によるも右訴外会社らが原告会社に対し売主の担保責任を追及しない事情は明らかではなく、単に原告会社が右訴外会社から請求を受けていないとの事実があるからといって、原告会社が、自ら被った現実の損害につき自己の権利を行使することが直ちに信義則に反するということはできないことはいうまでもない。

(四) 以上、被告大西らの信義則違反の抗弁は理由がない。

2  除斥期間の経過

原告会社が本件売買にあたり、本件土地のうちの一部が訴外定吉の所有に属さないことを知らなかったことは、前記第二の一5記載のとおりである。そして、民法五六四条にいう善意の買主が「事実ヲ知リタル時」とは、売主による権利の移転ができないことが確実となった事実を知ったときと解すべきであるところ、被告大西らは、原告会社が本件無番地の存在を知ったとき(昭和四〇年頃)又は訴外長生から訴訟を提起されたとき(昭和四五年三月三〇日受付)に原告会社は事実を知ったと主張する。しかし、前記第一の二記載の原告会社の行動からすれば、原告会社は、昭和四〇頃に本件無番地の存在を知ったときにも、本件無番地が自己の所有に属することについては、いささかの疑問も抱いていなかったと解されるのであり、この段階で原告会社が事実を知ったということはできない。そして、本項1(一)記載の別件訴訟の経緯によれば、原告会社が訴外定吉から本件無番地の所有権の移転を受けることができないことが確実となった事実を知ったのは、訴外大阪住建が当事者参加訴訟を提起し(昭和四六年一月一三日受付)、精力的に主張立証活動を開始した後であると解するのが相当である。

ところで、原告会社が、昭和四六年四月二〇日、訴外定吉に対して訴訟告知をしたことは当事者間に争いがなく(再抗弁及びこれに対する認否)、訴訟告知は、同条所定の権利の行使に該当するから、訴外定吉に対する権利の行使は、遅くとも原告会社が「事実ヲ知リタル時」より一年内に行われていることにより、結局被告大西らの除斥期間経過の主張には理由がなく、これを採用することはできない。

3  権利放棄

本件全証拠によるも、原告会社が訴外定吉に対する損害賠償請求権を放棄する旨の意思表示をしたものと認めることが出来ないから、右主張を採用することはできない。

4  以上、被告大西らの抗弁はいずれも理由がない。

第四被告銀行の責任

一  請求原因7(一)の事実(被告銀行が、不動産仲介業者であり、原告会社との間で本件土地につき不動産仲介契約を締結し、本件売買を仲介したこと)及び同(二)の事実のうち、被告銀行が本件売買の仲介にあたり公図を調査していなかったことは、当事者間に争いがない。

右争いのない事実と前記第二の一5認定の事実、《証拠省略》を総合すれば、次の事実が認定でき、この認定を左右するに足りる証拠はない。

1  訴外定吉は、昭和三四年秋頃、訴外瀬戸保太郎の案内により現地を検分し、境界石を確認した上で、本件土地を、別紙物件目録一記載の五筆の土地に該当するものとして、同人外一名から買い受け、その後間もなく、被告銀行に売買の斡旋を依頼した。

2  その際、訴外定吉は、被告銀行の担当課長であった訴外西村實(以下、「訴外西村」という。)に対し、本件土地を訴外瀬戸保太郎から購入したこと、同人から現地を案内され、境界石の確認をしたことを説明し、訴外瀬戸保太郎の案内に基づいて、測量士に作成せしめた本件土地の実測図も合わせて示した。

3  訴外瀬戸保太郎は、旧目神山一番の一の土地の元所有者として同土地の分筆分譲を行った訴外長尾欽弥及び同長生の支配人であった者で、西山町付近の土地の所有関係を知悉しており、信用できる人物として付近土地の不動産取引にかかわる者に知られ、訴外西村とも面識があった。また、訴外定吉は、それまでに、被告銀行の仲介により数度にわたって不動産売買を行っていたが、権利関係につき紛争が生じたことはなかった。

4  そして、訴外西村は、別紙物件目録一記載の五筆の土地の登記簿謄本により、右土地に付いての権利関係を確認し(ただし、当時は、同目録5の土地については訴外定吉名義にされていたが、その余は訴外瀬戸保太郎及びその親族名義にされたままであった。)、さらに、訴外定吉の案内で現地の検分を行い、境界石を調べ、実測図と一致していることを確認した。

右実測図によれば本件土地の面積は一万二二六七・五四坪であり、登記簿上の面積(五〇三三坪)と二倍以上の差があったが、訴外西村は、これをいわゆる縄延びによるものと考えて特に不審を抱かず、公図の閲覧等それ以上の調査はしなかった。

5  そして、被告銀行は、折から土地の購入を希望していた原告会社との間に不動産仲介契約を締結して、原告会社に本件土地を紹介し、訴外西村、訴外定吉及び原告会社代表者らが現地に臨み、境界石を確認のうえ、本件売買に至った。

6  原告会社は、昭和三五年五月頃、本件土地の境界上の要所に原告会社の名を大書した標柱を数十箇所にわたって立てたが、以後、昭和四三年四月三〇日、別紙物件目録三の1ないし6記載の各土地を訴外昭和土地に売却するまでの間、隣接地所有者等から、異議が出たことはなかった。

二  不動産売買の仲介を業とする者は、委託を受けた相手方に対し、委託の趣旨に則り、善良な管理者の注意をもって、売主の所有に属さないなど権利関係に問題のある土地を仲介することのないように、目的不動産の権利関係について調査すべき注意義務を負っている(民法六四四条、六五六条)。

ところで本件の場合、被告銀行担当者訴外西村がおこなった調査は、別紙物件目録一記載の五筆の土地の登記簿謄本の確認と訴外定吉の案内による現地における境界の確認に止まるが、前主である訴外瀬戸保太郎及び同定吉の信用性、当時、本件土地の隣接地の所有者の誰一人として、本件土地全体が訴外瀬戸保太郎、同定吉の所有に属することを争う者がなかったこと、山林売買においては、登記簿上の面積と実測面積が食い違うことは間々有ること、といった事情に鑑みれば、訴外西村にとって本件土地の範囲内に訴外定吉の所有に属さない部分が有ることを予見することは困難であって、訴外西村が、前記の調査のみで右五筆の土地の範囲を本件土地全部であると判断したことも無理からぬところであり、山林部分の公図(土地台帳附属地図)は、見取り図程度の精度のものも存在し、必ずしも現地の位置、形状とは一致しないことからしても、それ以上、訴外西村に、公図等の調査義務を認めることはできない。さらに、第一の二記載のとおり、昭和四二年頃、神戸地方法務局西宮出張所の登記官が本件無番地の所有権につき調査をした際も、やはり原告会社の所有に属するものと判断していることからみても訴外西村の右判断を軽率なものとして非難することはできないというべきである。

結局、訴外西村が行った調査をもって、通常必要とされる調査は一応尽くされていたと解するのが相当であり、被告銀行に原告会社主張のごとき注意義務違反を認めることはできない。

三  したがって、原告会社の被告銀行に対する請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

第五結論

以上のとおり、原告会社の被告大西らに対する請求は、訴外定吉が金七一八万九〇〇〇円の担保責任を負うことを前提とする限度で正当であり、前記第三の五のとおり自白したものとみなされる同被告らの相続分にしたがって計算すると、被告大西夏江に対し金二三九万六三三三円、同大西一、同大西満、同大西洋吉、同大西紀世、同大西貞夫、同来馬博子及び同大西亨に対し各自金六八万四六六六円の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却し、被告銀行に対する請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高橋史朗 裁判官 平澤雄二 小野憲一)

<以下省略>

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